chatorashiroのブログ

不器用で繊細な主婦の日記

しんどくて、逃げたい‥

気付いたらいつの間にかひとりぼっちで、完全に周囲から孤立していた。

布団から起き上がることもできず、もちろん家事も必要最低限しかできず、今までにない体調の悪さ、心の不調を実感していた。


仕事に行けない。子供の学校行事にも行きたくない。習い事の送迎もできない。買い物にも行けない‥。

とにかく、知ってる人と会っても今の自分ではうまくかわすことができないので、外出することが怖くなってしまった。


一体、いつからこうなったのか。


●子供が保育園〜幼稚園時代

喘息で体調が悪いことはあったが、心の状態は良く、仕事を休むことはなかった。職場の人間関係はまあまあ良好だった。保育園・幼稚園も、とくに仲が良いわけではないが、お母さん達と適度にコミュニケーションが取れていて、居場所があった。


●小学校入学〜

少しずつ、居場所が失われていく。

子供会の雰囲気に馴染めず、子供会での居場所のなさが大きな引き金となる。眠っていた、人との距離感の不確かさ、コミュニケーションに対する不安がじわじわと出始める。


保育園・幼稚園でコミュニケーションが取れていたお母さん達から、何となく距離を置かれるようになる。自分も、そう感じたらこちからから距離を詰めようとはしないが、年々、拒絶感を強く感じるようになる。人が自分から離れていく感覚を強く感じる。顔見知りのお母さんを見かけても、自分と顔を合わせないで済むようにわざと距離を置かれている。学校行事に出かけてもとくに話しかけてくれるようなお母さんもいなくて、誰とも話せない。


いくら原因を考えたところでわからない。当たり障りのないことしか言わないように、もちろん、誰かの悪口などは絶対言わないように気をつけて接してきたのに、なぜこういう状況になっているのかが分からない。でも、私の何かが人を不快にさせるのだろう。


孤立していることに、耐え難い苦痛を感じる。

いくら消そうとしたり、他で紛らわせようと努力しても、感情というものはそう単純にはできていなくて、拒絶感を感じる出来事がある度に、一週間位寝込む程、心がやられてしまう。


なぜ人が離れていくのか。ママ友ができないのか。


それは、私と居ても楽しくないからなのだろう。いつも無理をして頑張って、体調が悪いのに頑張っている私。ストレスや不安をいつも身にまとっているから、きっと空気感が相手に伝わって、相手を窮屈で不快にさせてるのかもしれない。そうだとしたら、本当にすみません。そんな自分ですみません、と思う。


私は心を病んでいても、どんなに嫌でも、必要ならば人の集まりに出るし、人と話してしまう。仕事にも行ってしまう。もしかしたら、これが余計に、相手を不快にさせているのかもしれない。


逃げずに立ち向かうことはエネルギーがいる。自分を消耗させるエネルギーだ。決して、プラスのエネルギーではない。

逃げずに立ち向かうことはえらいのかもしれない。でも、坂道を登る苦しさが周りに伝わって、見ているのもしんどいので、かえって距離を置きたくなるのかもしれない。


では、心を病んでいてつらい時はどうすればいいのか?


もしかしたら、逃げずに立ち向かうこととは逆で、可能な限り逃げることなのかもしれない。


たとえ必要でも、なるべく人の集まりに出ない。学校行事にも参加しない。苦手な人を見かけたら近づかない。可能な限り、物理的に距離を置く。結局、孤立していて平気ではいられない。


そして、やらなきゃいけないことはなるべく休んで、元気になれることをやる。


そういうことなのかもしれない。


仕事は嫌いではないし、職場の人間関係も良好だけど、今は心を病んでいて、とても仕事どころではないのが本音だ。


好きなことも、心が辛くて、身体がだるくてできない。

ピアノやバイオリン、お菓子作りはできない。縫い物もできない。読書すらできない。テレビも見れない。


家事もしんどくて、涙をこぼしながらやっている。


とにかく眠りたい。休みたい。

森の中のような、ゆったりとした空間で一人になりたい。今は正直、それしか思いつかない。


子供の笑顔と、飼っている猫と、旦那の自然な気遣いにのみ癒されている感じ。


今日はどうしても辛いので、夕飯はお弁当を買ってこよう。出費がかさんでごめんなさい…。