chatorashiroのブログ

不器用で繊細な主婦の日記

トラウマの再燃。克服の決意。

ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。


本日の起床時刻 6時5分

朝散歩 なし


今日はけっこう暗いです。すみません。スルーしていただいて大丈夫です😊


今日は、少しうつ気味です。。娘の友達関係の話を聞いていたら、色々と思うところがありました‥。娘はうまくバランスを取りながら過ごしているようですが、私はできなかったなぁと、過去のことを思い出します。


中学・高校と女子校だったのですが、本当に、友達関係で悩んだ6年間でした‥。いじめとか、仲間外れにあっていたわけではありません。とくに嫌われ者だったわけでもないし、友達も少ないなりに、いつもいました。何か学校で問題になったこともありません。ただ、漠然とした生きづらさが常にありました。

周りの話題についていけず、ついていくことに精一杯で、学校生活がちっとも楽しくなかったこと、そのことで少しずつ自律神経失調症のような症状が出始めて、両親にさんざ怒られたことが、ものすごく辛かったですね‥。


中2くらいから、吐き気や頭痛が始まり、ストレスの原因を思い切って両親に打ち明けたら、父からは「それはお前が弱いからだ」と怒られ、母からは、「困ったね‥変わった子で」と言われ、その時、心に矢が突き刺さるような痛みで動けなかったのを覚えています。


小さい頃から、口下手で人見知りで、なかなか友達ができない方で、そのことを子供ながらにすごく引け目に感じていました。体調を崩すようになってからというものの、それに直に触れてきて、「お前はどうせどこへ行っても嫌われ者なんだ」「本当、親に心配ばっかりかけて、出来損ないの子供だよ。親不孝!」と罵られ、毎日毎日電気を消して、部屋を真っ暗にして泣いていた記憶があります。


こんなんで不登校になったら、私は自殺するしかなくなる、そう思い、歯を食いしばって学校にいきました。


大学に入るとガラッと環境が変わり、精神的にも楽になって、体調不良の症状は改善されていきました。


心理学的にどうなのかはわかりません。でも、ずっと、辛いのに平気なフリをし続けてきてしまったので、心の大切な部分が栄養失調なのでしょう。私のトラウマ記憶やうつ状態は、そこと繋がっているんだと思っています。


20年前に亡くなった祖母は、「お前のことは大嫌いだ。〇〇(父の名前)にそっくりだ」と何かきょうだいげんかのたびに、私に言っていました。


両親も、私が友達関係で悩むと、「それはお前に問題があるからだ」と言われ、「私は問題のある人間なので、自分を鋳型にはめて、社会に適応できるように矯正し続けなくてはいけないんだ」と思春期以降は自然と思うようになっていたと思います。


ちなみに、何か医者から指摘されていたとか、そういうのではありません。今から考えると、自分にはもしかしたら、何かしらASD的な傾向があるとか、そういう話なのかもしれません。

十数年前にかかった心療内科では、うつ病という指摘しかありませんでした。


でも、もしそうだったとしても、それはそれでいいんです。

ただね‥悩んでも、子供のきょうだい喧嘩ですらも、常に誰も味方がいなかったという事実がら本当に刺さります。うまく説明できない私が悪い、要領の悪い私が悪い、ということになるんだと思います。


家にも学校にも居場所と呼べる場所がなかったこと‥。


今は主人と子供達がいる分、だいぶ良くなりましたが、「なんか‥いつも辛い‥。浜辺に取り残された魚みたいに、アップアップして、苦しい‥」という感覚を感じる頻度が増えました😣


トラウマの再燃、というのか、癒えていない傷にきちんと向き合う時期が来ているのかもしれないですね。


でも、希望を持って乗り越えていこうと思います。よくわからないけど、乗り越えていけるという確信のようなものがあります。それが、10代の頃と違うことです😌



‥暗い内容にも関わらず、読んでいただいて、ありがとうございました😌ここに吐き出させていただいたこと、本当に感謝致します。ここで今日、一回だけ吐き出して、また明日から、希望を持って前に進んでいきたいです。

本当に、ありがとうございました。